山田健太選手(立教大)の大阪桐蔭時代や兄弟など経歴プロフィールをwiki風にまとめるほか、父親や母親、実家に関する話題もご紹介していきます!
甲子園で春夏連覇を達成した2014年大阪桐蔭の中心メンバーで、立教大に進学してからも勢いは止まらず、大学侍JAPANの常連としてチームを牽引する活躍を見せている山田健太選手はドラフト会議2022で1位指名濃厚と噂されています!
山田健太 (立教大)の大阪桐蔭時代
山田健太選手の名が全国に知れ渡った大阪桐蔭時代を振り返っていきましょう。
愛知県稲沢市出身で、中学3年の時に日本代表に選出され、世界大会優勝を果たしている山田健太選手ですが、高校は常勝軍団の大阪桐蔭へと入学し、高校1年秋の段階から背番号「5」を任されるなど、レギュラークラスの選手として目覚ましい活躍を見せます。
同学年に根尾昴選手(中日)や藤原恭大選手(ロッテ)といった超高校級のプレーヤーがそろっていたこともあり、山田健太選手は大阪桐蔭時代に4季連続で甲子園出場を果たし、優勝3回(高校3年時は春夏連覇)という驚異的な成績を残しています。
山田健太選手は高校2年でサード、高校3年でセカンドのレギュラーに抜てきされ、甲子園で計19試合戦い、打率.403・本塁打2本・打点15の結果を残しました。
根尾昴選手と藤原恭大選手の活躍が凄すぎたこともありますが、山田健太選手も勝負強い打撃を披露して、大阪桐蔭最強世代の一員として申し分ない活躍を見せていました。
山田健太 (立教大)の兄弟
立教大からプロ入りを目指す山田健太選手に兄弟がいるのかどうか…というところが話題になっていて、ネット上では山田健太選手と山田陽翔選手(近江高校)が兄弟関係なのでは?という噂が出回っています。
結論から申し上げますと山田健太選手と山田陽翔選手は兄弟ではなく、ただ名字が同じなだけで、血縁関係は全くありません。
また、山田健太選手には弟はおらず、4歳年上の兄・大地さんがいます。兄・大地さんは愛知県の豊川高校出身で2014年春の選抜でベスト4入りを果たしている元高校球児ですから、山田健太選手は野球一家で育った、ということになりますね。
山田健太 (立教大)のwiki経歴プロフィール
山田健太選手の経歴プロフィールをwiki風にまとめます!
名前:山田健太(やまだ・けんた)
生年月日:2000年(平成12年)7月19日
出身地:愛知県稲沢市
出身小学校:稲沢市立千代田小学校
出身中学校:稲沢市立千代田中学校
出身高校:大阪桐蔭(大阪)
大学:立教大
投打:右投げ右打ち
ポジション:ファースト、セカンド
大阪桐蔭の最終学年で甲子園春夏連覇を成し遂げた山田健太選手は高卒でプロ入りを目指すのではなく、名門大学で今一度野球の腕を磨くべく、東京六大学の立教大へと進学し、大学1年春からレギュラーに抜てきされ、チームの中心打者として活躍。
山田健太選手はファーストとセカンドのどちらかのポジションで試合に登場していて、大学1年秋にはファーストでベストナインを受賞し、大学2年秋にはセカンドでベストナインに選出されています。
大学4年春までの通算成績は打率.302・本塁打7本・打点30となっていて、ホームランの本数が二桁に届いていないのはやや物足りませんが、30打点の数字が示す通り、チャンスでの勝負強さはピカイチです。
山田健太 (立教大)の父親母親と実家
山田健太選手の父親や母親など、実家に関する話題をご紹介します。
山田健太選手の出身地は愛知県稲沢市で、出身小学校(稲沢市立千代田小学校)と出身中学校(稲沢市立千代田中学校)はともに地元稲沢市にある公立校ですので、山田健太選手の実家も愛知県稲沢市にある、と考えるのが自然でしょう。
また、山田健太選手の父親と母親については情報は全く出回っていないので、名前や職業、年齢は不明とさせていただきます。
ただ、兄・大地さんと山田健太選手はずっと野球に打ち込んでいるので、山田健太選手の父親は幼少期の子供たちを野球を教えていた可能性がありますし、山田健太選手の母親も毎日のようにお弁当を作って、野球の練習に出向く子供たちをサポートしていたのではないでしょうか。
まとめ
山田健太選手(立教大)の経歴プロフィールをwiki風にまとめると、大阪桐蔭時代に3度の甲子園優勝と春夏連覇を達成した野球エリートで、兄弟の兄・大地さんは豊川高校時代に甲子園出場を果たしていました。
実家は愛知県稲沢市で、父親や母親の名前は不明でしたが、子供の活躍を陰ながら応援しているのは間違いないでしょうし、立教大に進学してからも好結果を残し、ドラフト会議2022の目玉として注目される山田健太選手の今後の活躍に期待したいですね!