50m走5.8秒の俊足を活かした激しいプレッシャーと、得点力を武器に、11月に開幕したカタールワールドカップで、日本代表の一員として目覚ましい活躍を見せている前田大然選手。スキンヘッドに立派な髭を蓄え、少し強面な印象ながら、得点後には『アンパンマンポーズ』を見せ可愛らしい一面を持ち合わせています。
そんな前田大然選手、高校時代に部活動で謹慎処分を経験。長らくサッカーから遠ざかった時期がありました。今回は前田大然選手がなぜ謹慎となってしまったのか、その後どのように更生したのかを紹介します。
前田大然の出身は山梨学院高校
前田大然選手は山梨県の強豪・山梨学院高校の出身です。山梨学院高校サッカー部は、全国高校サッカー選手権優勝2回を誇り、多数のJリーガーを輩出。全国各地から全国高校サッカー選手権優勝を目標に掲げるサッカーエリートが集まってきます。
前田大然選手は大阪府出身で、地元のサッカークラブで小中学生時代を過ごしました。前田大然選手が小学6年生の時に山梨学院高校が全国高校サッカー選手権を優勝し、その時から山梨学院高校に強い憧れを持ち、進学を果たしました。
前田大然が高校時代に謹慎理由と内容
憧れの山梨学院高校に入学した前田大然選手だが、高校1年次にチームの規律を乱す行為を取ったことで同級生であるもう一人の生徒と共に1年間サッカー部から除籍処分を受けています。当時監督であり、現在アルビレックス新潟シンガポールで監督を務める吉永一明監督曰く、「横暴な態度が見られた」とのこと。
除籍となった理由はいじめが原因であると言われています。最初は少しからかったり、面白がったりする程度でしたが次第にエスカレート。チームメイトや監督からみても、いじり、いじられの範囲を超えたものとなり、その中心人物であった前田大然選手は除籍処分という形になりました。
前田大然選手が除籍となっている間に、チームは全国高校サッカー選手権に出場しましたが、除籍が解け、最終学年として迎えた年は残念ながら出場を逃しています。もしいじめがなければ、憧れの舞台に立てていたのかもしてません。
前田大然の悪さは評判だった?
当時の前田大然選手の悪さを語るエピソードは多くはありませんが、除籍処分を受けるということは相当な問題児であることは間違いありません。
除籍処分を受けた当初は期限が設けられていなかったため、前田大然選手には山梨学院高校を辞め他校へ転入するか、サッカーを辞め山梨学院高校に通い続けるか、サッカーも高校も辞めるか3択の選択肢がありましたが、前田大然選手は山梨学院高校に通い続けることを選択。
当時寮生活を送っていたが追い出されてしまったため、学校近くのワンルームで一人暮らしをすることに。実は山梨学院高校では一人暮らしが認められていなかったが、前田大然選手のお母さんが定期的に通うことを条件に許可が下りました。
前田大然の謹慎中の行動やその後
謹慎中は一切ボールに触れることが出来なかったため、チームが朝練をしている間は近くの山やグラウンド周りを走り、登校前には学校の清掃活動を自ら進んで行いました。そして、朝練の前には、パン屋でアルバイトも経験。朝5時に起き、熱々のフライヤーの前でカレーパンをひっくり返したしたそうです。
その姿を見た吉永一明監督から手を差し伸べられ、高校2年生の秋ごろから地元の社会人チームの練習に参加。週2回の夜間練習と週末の練習試合に混ざり、ボールを蹴っていました。
心を入れ替え、真面目に生活を送る前田大然選手は高校3年次、他の部員、監督に認められ復帰。除籍前にはなかった仲間への感謝の気持ちが芽生え、プレーにも変化が出ます。入学当初は守備の意識が低い選手でしたが、復帰後はスピードを武器に献身的な守備を披露。リーグ戦では12ゴールを記録し得点王に輝きました。もし前田大然選手が除籍を経験していなければワールドカップに出場することは叶わなかったかもしれません。
まとめ
前田大然選手は地元大阪を離れ、山梨学院高校に進学。しかし、高校1年次にいじめが原因でサッカー部から除籍処分を下されることになります。サッカーができない前田大然選手は、近くの山やグラウンド周りを走ったり、登校前に学校の清掃活動を行い、学校近くのパン屋さんでアルバイトを経験しました。
高校2年秋から地元の社会人チームの練習に参加し、高校3年次にサッカー部へ復帰。献身的なプレーを身につけ、リーグ戦で12ゴールを記録する大活躍を見せました。